10月3日の青木君の特別講義と中間講評会が迫ってきて、今日は、学内で中間講評を希望している何人かの学生諸君と話しました。
昨年もそうでしたが、普段の具体的な設計課題とは趣が違うためか、何をしたらいいのかと戸惑う人もいるようで、そのあたりの誤解を解いたり、現代アートのドローイング作品を紹介したりしました。
余計なことかもとか、的外れかもとか、いやいやこういう親切さこそが教育なのなのだとか、これも去年と同じですが迷いつつ、まあいろいろと喋りました。
僕は、神戸芸工大の教育に欠けているのが、この課題のようなコンセプチャルな思考のトレーニングだと思っているので、それを補う場を少しずつ作りたいというわけです。学生諸君も、不慣れなことに臆病にだけはならないでほしい。臆病と自覚してるうちはまだマシだけど、いつしかそれが億劫になり、不感症になり、欠陥に気づかなくなったらおしまいです。
今日は、以下のような本やカタログを見せながら学生諸君と話しました。
■安藤忠雄や槇さんの作品集。その中のスケッチやコラージュを紹介し、「これは今回いうところのドローイングだ、これはぜんぜん違う、これは中間くらい」そんな話です。
■青木君の青森用の例の断面のスケッチ。
■ミースの作品集で、対話編で書いたことの復習。
■
Herzog & De Meuronの "Natural History"。 この中の、さまざまな模型によるスタディを紹介。たとえば、「模型の」素材をかえることによって、新たに生まれる空間の質に対応した建築空間を考えるという順番であり、「模型の」素材がアルミであっても実物の素材がアルミだとは限らないという自明のことの再確認。そして「模型」という言葉の「ドローイング」への置換。
■若林奮の展覧会のカタログ。
東京国立近代美術館での展覧会(1987年)と、豊田市立美術館での展覧会(2002年)のもの。対話編で書いたことの説明。
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野村仁の東京国立近代美術館での展覧会(2009年)のカタログ。時間を様々な手法で平面上に定着させている作品の紹介。
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松井みどり『マイクロポップの時代:夏への扉』(PARCO出版 、2007年)の中の「痛い」ドローイングについて。
■目黒区美術館で昔おこなわれた「
戦後文化の軌跡1945-1995」展(1995年)のカタログ。
■
ピーター・ドイグのドローイングのこと。
■その他、いろいろ。
建築化の手前で、言葉によらず、描くことによる思考に留まってみること。
10月3日の青木君の特別講義、みんな来て下さいね。
学外の人も、これからささっと何か描いて、出展してみませんか。
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第一号嬉しいです!地味に学生さんに影響を与えることができたら嬉しいです。(笑)
コメント欄も活発になった方が、盛り上がると思います。
>コンセプチュアルな部分から、より生々しい素材や形態へと参照の対象が移っているように思います。
確かに確かに。
昔、ある人に、ヘルツォークがクレマスターサイクル(http://www.cremaster.net/)のマシュー・バーニーに興味を持っているらしいという話を聞いたことがありました。
その後雑誌で見たプラダの模型の質感が(ヘルツォークのフィルターを通って変化していますが)バーニーのワックス性の彫刻を想起させるものでした。
あの最先端の建築家もすごく良く見て参照しているんだなあと。(推測のレベルですが。。)これって学生さんを勇気づけるものでもあるし学ぶべきところだと思います。(フィルターを通して自分のものにするってところが最重要だとおもいますが。)
バーニーも作品としてドローイングを描いていますし、それが彫刻になり最終的に映画になるという、その全てに共通する世界観を感じます。
参考になるでしょうか?(笑)