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対話篇09 花→青 11

ちょっと間があいてしまいました。
10月5日の中間講評会の報告や感想を書こうと思いながら、後期の授業が始まったり、日土小学校関係の原稿に追われたりしてまとまった時間がとれません。
いまもパソコンの画面の上には、その原稿のファイルが開かれています。一旦書き終えたのですが、編集者と誌面イメージを話す中で、大幅に書き方を変えようということになったわけです。わりとドライに書いていたのですが、物語性を加えないと伝わらないことが多いのではないかという判断が下り、全体にがさっといじっています。

こんなこといくら書いても仕方ないですが(半分息抜きです)、でもまあ学生諸君、設計課題の自分の案を、エスキスの中で先生に思い切りいじられたときのことを考えて下さい。大鉈を振るうときにどきどきするのは、設計でも文章でも、学生でも先生でも(笑)、同じなのです。


さて、中間講評会で青木君は、ひとつの思考モデルを提示しました。

   <抽象>    <抽象>   <抽象>

   まぼろし  →  図式  →  もの

   <具体>    <具体>   <具体>

という具合に設計は進むのだけど、いずれのステップにおいても、<抽象>と<具体>の両面をもってないといけないというわけです。
会場で映した映像では、上記の真ん中の3つの言葉の上下に、ぼわーと縦に帯が伸び、それぞれが<抽象>と<具体>を示していました。

菊竹清訓の「か・かた・かたち」論なんかも思い出しつつなんとなく聞いていたのですが、ふと奇妙なことに気づきました。

そう、青木君はさらっとそんなことをいうのですが、でも「まぼろし」の段階での<具体>って何?、<具体>がないから「まぼろし」なんじゃないの?、逆に「もの」の段階での<抽象>って何?、<具体>だから「もの」なんじゃないの?という疑問がわいてきたのです。
そうなると、彼の言っていることが何とも不思議に思えてきます(くるでしょ?)。
ごくふつうに考えれば、<抽象>的な「まぼろし」から何らかの「図式」をつくり、それを<具体>的な「もの」にしていく作業が設計ですからね。
なぜこの人はこんな変なことをさも当然のように言って平気な顔をしてるんだろうというわけです。

彼の話が終わった後、会場での議論でこのことを指摘しましたが、設計とはそういうふうでありたい、そうあるべきだという意志の問題だというふうに理解しました。あるいは、彼はそんなふうに考えているからこそ、あんな建築が設計できるんだなという青木論として。

そしてもちろん話はきちんと「オープンスタジオ」につながるわけで、「図式」のところが昨年は「模型」、今年は「ドローイング」というわけです。

ということで、ここから先は皆さん自分で考えてみて下さい。
<抽象>と<具体>の両面をもった「ドローイング」を描くわけです。
僕にはよくわかりません(笑)。

青木君の話でもうひとつ面白かったのは、「ドローイングは建築単体を考えるのにはあまり役に立たないが、経験を考えるのには役に立つ」という話です。
これなかなりなるほどと思いました。
「模型」との違いという話にもなりそうです。
ドローイングは、まわりをいろいろ引きずり込む、「世界を作る」、そんな感じです。

その事例として青木君が取り上げたのが、イブ・ブルニエ(Yves Brunier)。OMAと恊働したランドスケープアーキテクトですね。
ここから先は自分で調べて下さい。

もう原稿に戻らないとまずいです。

続く。
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