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対話篇09 青→花 13

花田くん、この前、話したことを実に的確にまとめてくれたので、ぼくがつけ足すことは、もうなにもありません。どうもありがとう。

この前は、ドローイングについて話すにあたって、なにか適当な材料がないかなあ、と見つくろっていて、久しぶりにイヴ・ブリュニエのことを思い出しました。

講義で、イヴ・ブリュニエを知っている人、手を上げて、と聞いて、手をあげた人がひとりもいなかったので、念のため書いておきます。イヴ・ブリュニエは、1991年、28歳になる直前に亡くなってしまったので、5年間という、ほんとうに短い活動期間しかないのですけれど、その5年の間、彼は、レム・コールハースやジャン・ヌーヴェルなどの仕事に、「ランドスケープ・アーキテクト」として参加しました。

イヴ・ブリュニエの仕事がまとまっている出版物として、ぼくはこれしか知りませんけれど、そこにはかなり多くのドローイングが収録されています。描かれているのは、「かたち」ではありません。「構成」でもありません。そういう客観的なものではなく、もっと主観的なものです。その場所を体験することで立ち上がるだろう空気の質であり、それと同じ質になるように、手で荒っぽくちぎったような断片でコラージュされ、パステルが重ねられたドローイングです。

イヴ・ブリュニエは、空間を、モノとしてではなく、経験として捉える視点に立っていました。そして、だからこそなのだと思うのですけれど、設計の道具として、彼は、ドローイングを多用しました。自分がそこにいるときに、自分はどう感じるだろうか。あるいは、自分はどう感じたいと思っているのか。それを考えながら、彼は、写真を切り裂き、絵の具の乗せ、パステルを擦り、人物を描き込んだのだろうと思います。たしかに、こういうことは、模型よりもずっと、ドローイングに向いています。

建築にせよ、都市にせよ、そのどちらもまた、モノとしてではなく、経験として捉える視点から設計することができるはずなのですが、彼にあてがわれたのは、それらとは独立して、しかしそれらを補完する立場でした。それがつまり、「ランドスケープ」というとりあえず伝統的に措定されてきた既存の領域だったわけですけれど、さて、それで収まるものだったかどうか。その辺に、ぼくのいまの関心があります。
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