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吉村雄史:ガラスとミラー

ガラスとミラー
吉村雄史 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

053yoshimura

【講評】
ガラスも鏡も、割れると、それまであった距離感や奥行きがなくなる、という指摘が、画面の左側半分を使って語られていますが、正直、ぼくにはこれがよく理解できませんでした。だからなのだと思いますけれど、画面の右側半分いっぱいに描かれた絵に添えられた、「ガラスのようなミラーのような、距離も見え方も、フラットな状態の建築」というキャプション、これもぼくには理解不能です。しかし、この課題は、「言葉から建築へ」ではありませんので、そういうことには、いっさい目をつむりました。そのくらい、画面の右側半分いっぱいに描かれたドローイングが、おもしろかったのです。事物が太く不器用な輪郭線で描かれています。その線がかすれています。それから、それら図像と無関係に、これまたかすれたひび割れの線がかぶさっています。実に変な絵です。ガラスと鏡の話が、作者の頭のなかで科学反応を起こして、このドローイングが生まれたのでしょう。作者が、ガラスと鏡の話を展開するのではなく、このドローイングから出発して、その世界観を建築にもっていってくれることを期待しています。(青木淳)
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6件のコメント

[C53]

返信ありがとう。僕としては、ネガティブな意味で言ったわけではなく、逆にラディカルだなと思ってのコメントでした。単純に勘違いの可能性があるのですが、コメントのなかにある言葉を引用させてもらうと、吉村君は〈経験〉を読み解く〈観測者としての視線〉そのものを問い直しているのかな?と思ったので。僕の作品は、そういう意味では少しいい加減だなと思います。コメントでも自分が〈観測者としての視線〉からまるで自由であることが可能であるようかのように話をしちゃってるし(今、気づきました(汗))。
  • 2009-11-17
  • 吉丸
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[C46]

吉丸くんコメントありがとう。
まだ出会ってもない同じ年代のひとたちと、しかも違う大学で、このような場があるということはすごく刺激的で良いですね。
文字で伝えきるにはある意味限界はありますがあと少しのあいだ対話ができることを楽しみたいです。

「いつでも鏡像は不完全で、いつでも貌の把握は失敗しているような感じ」という言葉、すごく自分でなるほどと思いました。
ここでいうドローイング(課題)は、<経験>とか、<観測者としての視線>から読み取れる場の質のようなもの、を伝えるためのものだと思うんですが、ぼくのは違いますね、なんかダイアグラムよりというか。
自分の話ばかりすみません。吉丸くんの作品についてもずっと考えています。盛り上がってるみたいなので(笑)もう少ししたらコメントさせてください。
  • 2009-11-16
  • 吉村雄史
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[C24]

何とは無しに、コメント欄を見てみたら、自分のコメントへの言及がある(驚)。
対話がはじまりそうな予感があったので、失礼かもしれませんが、コメントをしてみたいと思います。
作品やコメントを見ていて、ふと勝手に抱いたイメージですが、吉村君が今回試みていることは「眼のデザイン」から建築を考えてみる、ということなのかなとか思いました。眼を異化するために、底なしの鏡像のなかに自らの貌を延々と写し続けながら、そこに世界を還元していこうとしているような印象があります。面白いと思うのは、いつでも鏡像は不完全で、いつでも貌の把握は失敗しているような感じがあることです。そこにひび割れた線と余白(他者)があることによって。そこにはどんな異貌が写し出されてくるのか。そして、どう建築に開かれていくのか・・・。ちょっと今のところ、どうなっていくのかわからない。間違った解釈かもしれません。実際、この解釈ではミラー/ガラスの対立項がよくわからないことになる。
良かったら、僕の作品にもコメントください。お互い頑張りましょう。
  • 2009-11-12
  • 吉丸貴一郎
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[C20] 「声に出せない言葉」

花田先生コメントありがとうございました。
ぼくも、この絵を自分で見てると、怖いです。

青木先生のコメントで、「ガラスと鏡の話を展開するのではなく、このドローイングから出発して、」とありますが、今は <鏡> が気になってはいます。
今回の課題は「言葉から建築へではありません」が、吉丸貴一郎さんのコメントであったエンデの『鏡の中の鏡』。この本は知らなかったので、検索していると、こんなサイトがありました。
http://tkcnf.or.jp/19ao/kaityou1511.html
http://tkcnf.or.jp/19ao/kaityou1512.html
ここに書いてある話がちょっとおもしろいなと思いました。
まだ断片的にしか理解できていないので、ここでの話をまとめるには時間がかかりそうですがなにか、建築や社会と接点が持てそうな、発展できそうな<言葉>があるような気がしています。
ちょっと考え過ぎでしょうか

あと、鏡=(自分)、ガラス=(他者)という関係で見ることもできると思います。
この2つの対立関係を映し出している各フィルター(鏡とガラス)との間に、「ぼく」がいる。それらが<割れる>と、どうなるのか。
  • 2009-11-12
  • 吉村雄史
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[C14]

右側の絵のように世界が見えだしたら、かなり怖いだろうなあと思いました。
自分が世界からきり離され、しかも世界は崩れ落ちていく。
そのような、いわば建築を否定するようなイメージから、どんな建築が出てくるのか、興味津々です。

[C5] ご講評ありがとうございます

青木淳先生・花田先生、選出とコメント、ありがとうございます。
そして、中間講評会でも大変お世話になりました。
頭の中で化学反応が起きてこの絵が生まれ、かすれた線もひび割れも、また、化学反応でしょうか。
まずはこの絵を客観的に見てみることにします。
シンクロする風景と言いますか。たとえば、黒く割れた線が暗闇だとすると、白の部分は光照らされた場所。その場所に<かすれた青と緑の輪郭線>つまり風景や景色が走馬灯のように、シンクロする。そんな建築が考えられます。

まだ言葉にするとひどく抽象的で、曖昧でわかりにくいですが、解釈の方法(絵の)を見つけては具体化する模型化する、ということを繰り返すのが適切な進め方だと、青木先生にいただいたコメントからは感じました。

吉村
  • 2009-11-06
  • 吉村雄史
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