Daydream-Architecture古家良輔 大阪工業技術専門学校 建築士専科 1年
【講評】イメージパースが6枚あって、そのどれもが、そこにいる人と違う関係を張っていることを示しています。ということは、ここで想定されている空間は、外から眺められるひとつの一様な空間というのではなく、いろいろな場があって、それらを体験することによってひとまとまりの空間として認知されることになる空間、ということなのでしょう。つまり、これは夢のなかに現れた、1本の細く背の低い木ではなく、それら木々のある場所の体験そのものを模っているのだろうと判断しました。ただし、してみると、最後の「仮に人が一人はいれるほどのスケールに落とし込み」が、辻褄があいません。そのあたりが微妙ではあるのですけれど、ドローイングを道具にしなければできそうもないこのスタディ。ここは、最終講評案への展開を期待しましょう。(青木淳)
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まずは花田先生の意見にお答えします。
>「夢」による、ある意味で「リアル」で理屈っぽい説明はもうひとつピンときませんでした。むしろ都市や森の中を、他者との関係を断ち切った匿名のひとりとなって彷徨う実体験をビジュアライズしてくれたように感じました。
私ごとですが言葉で説明する部分とモノで語る部分双方のバランスが悪く俗っぽい?のは自覚していて、でも主観的な世界の見方だけでは建築と向かい合うには非常に危ないのではないかと思っています。ある程度しっかりとしたリアリティを見据えながら他方で主観的で私的な美しい情景を描くことができればいいなとおもっております。かなり引っ張られてる感は否めないですど・・・それができればドローイングから建築へにつながる何かが掴めそうな気がしています。貴重なご意見ありがとうございました。
吉丸さんのコメントで
>混ざり合わない部分は自己の中に今だ(或いはこれからも)回収されえない記憶のノイズでしょうか?
とありましたが、自分でも今だ何とも明確な答えはでてないんですね。多分今仮定的な解答を与えると質感や感覚といった単純なものなんだとおもいます。
こういう風に覆われたらとか、こんな居心地で・・・などそんなものです。
貴重なご意見ありがとうございました。