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南野望:ドローイング達の建築

ドローイング達の建築
南野望 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

059minamino

【講評】
課題の意図を、まるで、汲んでいません。ドローイングをつかって設計してください、の「つかって」は、「それを媒体として」という意味で捉えられることを想定していますけれど、この作者は、「それを構成要素として」と、曲解しています。しかし、おもしろい。同じ要素なのに、感覚にわずかな差があるものを集めていって、全体をつくる。さて、この案をここから更に発展させることができるのだろうか、というと、ぼくはたいへんに疑問なのですけれど、もしそれが可能であれば、ほんとうにすばらしい。だから、それにすごく期待し、選びました。(青木淳)
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5件のコメント

[C77] 返信ありがとうございます

今見ると、かなりいい加減な質問にお答えしてもらったみたいで申し訳ないです。
残り時間も少なくなってきましたが、お互いがんばりましょう。
  • 2009-11-24
  • 吉丸貴一郎
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[C73]

花田先生感想ありがとうございます。最終講評に向けて、私が考えているイメージであったり考えが上手に建築として現れるように頑張ろうと思います。

続いて吉丸さんコメントありがとうございます。載せていただいた画像のイメージをみた感想としてコメントすると、風景として描かれている街と、それとは異なる描かれかたをしている(紙を含め)、格子状に線が描かれたビルとでは、その作者にとって込められている意味は異なっていることが、読み取ることができるものだと思います。しかし、作者がもし、その違いを意図していなくても読み取る側が受ける印象というのは違いがあるところに何か意味がある、その差異のなかに、何か込められているという解釈ができるのではないでしょうか。この載せられているイメージでいえば、街というフリーハンドで描かれた日常の自然に対して、直線で描かれた異質の要素をもったビルは浮き立ち、良くも悪くも街に対するアンチテーゼのように感じることができるようなきがします。
またもや、少し長文になってしまいましたが、それでも吉丸さんの疑問に答えられているかどうかは、わかりませんが、とりあえず、載せていただいたイメージに関してコメントさせていただきました。お粗末さまでした。
  • 2009-11-21
  • 南野 望
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[C32]

http://www.johnsonbanks.co.uk/up_images/409_IMG_0425.jpg
すべてを差異として見なす視点と対立として見なす視点はどう違うのだろう。
上のイメージを見て、なんとなく
  • 2009-11-15
  • 吉丸
  • URL
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[C30]

ドローイングの中味ではなく、そのための「紙」と「鉛筆」への操作だけによってドローイングに仕立てるというアイディアは面白いし、今回の課題に対してあるべき答えのひとつだと思いました。
こういうやや観念的な姿勢は重要です。
ただ、その場合、当然のことながら「建築」との距離は遠くなり、「建築へ」という問いへの答えが見えにくくなる。
青木君はさすがで、「同じ要素なのに、感覚にわずかな差があるものを集めていって、全体をつくる。」という「建築」の言葉にこのドローイングの操作を置き換えてくれているわけですが、それでもまだ遠いよね。
逆に言うと、考えられた建築によっては、このドローイングが遠く、縁遠いものになってしまう。
だから、ここから先は南野君への期待のみ!
役立たずの感想です。

[C22] 私の考えについて

選出および、講評ありがとうございました。そして、コメントが遅くなりすみません。
わたしは、今回のお題である「ドローイングから建築へ」、というテーマについて考える時にまず、ドローイングって何だろうと思い、その答えが、紙と鉛筆があればできるものであり、その描かれたものが、その選択によって、相手への伝わり方、伝え方は異なり、紙と描かれたものが一つでドローイングなのではないだろうかという風に考えました。そして、今回のテーマである「ドローイングから建築へ」というテーマで考えた時にそのドローイングたちで建築を考えたらいいのではないだろうか。そして、その考えだされた建築は一つの建築であってもたくさんの思いや、考えがストレートに現れてくる、感じとれる建築になるのではないだろうかと思い今回その考えで提出しました。なので、わかりませんが自分の考えでは青木先生がおっしゃっていた言葉でいうと「それを媒体として」を含めた、「それを構成要素として」という曲解なのかなと自分では思っています。
これからの展開としては、その講評していただいた考えを元に発展していくつもりであり、というのも提出したパネルにある、ドローイング達の建築の立面図のようなものはまだ、ドローイングと関係性が乏しいものだったのでその関係性を詰めることと同時にそれに伴う機能が何であるかを考えつつ進めていければいいなと思っています。
パネルに書いたことをまた、ここでも書いているような気がしますが、それによって長文になりすみません。せっかく選んでいただいたので最終講評でも頑張ろうと思います。ありがとうございました。
  • 2009-11-12
  • 南野 望
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