クウカンはリンカク リンカクはクウカン馬場沙織 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年
【講評】長方形の各頂点から内側に向かって45度の角度で同じ長さの斜線を描き、その4つの斜線の端部を結ぶ長方形を描きます。すると、長方形は、5つの領域に分かれます。(台形が4つ、長方形が1つ。)各領域を塗るか塗らないか、とすると、2の5乗、つまり32通りのパターンができます。作者は、うち27パターンを選び(なぜ?)、それらを縦7マス、横8マス、都合56マス(なぜ?)のグリッドになかに配置しています(どういうルールで?)。ともかく、それらの2次元パターンは、その中央に向かう斜線ゆえに、一点透視図法で描かれた3次元空間を想像させます。そして、作者はその空間での人の居方(いかた)を想像して、人の姿を描き込んでいます。このカタログ的網羅性がとてもおもろいと思いました。もっとも、「クウカンはリンカク リンカクはクウカン」とだけ書かれていますけれど、その意味はわかりません。(青木淳)
スポンサーサイト
- http://envopenstudio09.blog62.fc2.com/tb.php/47-3b77e711
0件のトラックバック
ところで、この間のコメントの訂正をさせてください。馬場さんのドローイングをよく見てみると、やはり方向が云々ではなく、僕のものとは似て非なるものですね。まず余白の使い方が違う。僕の余白は一種類ですが、馬場さんのは二種類ある。カタログの余白と場面の余白。カタログの方は二次元での空間レイアウトスタディの為に開かれていて、場面の方はリンカク+キャラの二つの要素がカタチを変えながら関係しあい、フォーマットを解体していくように、開かれている。カタログ/場面が、一つの平面上で同時に構築/解体を考えるシステムとなるようなドローイングを描こうとしているのでしょうか。いや、ぼくはこの「カタログ的網羅性」には思い至らなかった(合ってる?)。吉村君が紹介してくれていた『第三の眼』という本がありますが、「視角」の置き所によって、(建築にするためには)非決定的なままにされているシステムの境界条件を限定していくのでしょうか。いずれにしろ、最終形は予測がつきません。すごく楽しみです。