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馬場沙織:クウカンはリンカク リンカクはクウカン

クウカンはリンカク リンカクはクウカン
馬場沙織 神戸芸術工科大学 環境・建築デザイン学科 4年

100baba


【講評】
長方形の各頂点から内側に向かって45度の角度で同じ長さの斜線を描き、その4つの斜線の端部を結ぶ長方形を描きます。すると、長方形は、5つの領域に分かれます。(台形が4つ、長方形が1つ。)各領域を塗るか塗らないか、とすると、2の5乗、つまり32通りのパターンができます。作者は、うち27パターンを選び(なぜ?)、それらを縦7マス、横8マス、都合56マス(なぜ?)のグリッドになかに配置しています(どういうルールで?)。ともかく、それらの2次元パターンは、その中央に向かう斜線ゆえに、一点透視図法で描かれた3次元空間を想像させます。そして、作者はその空間での人の居方(いかた)を想像して、人の姿を描き込んでいます。このカタログ的網羅性がとてもおもろいと思いました。もっとも、「クウカンはリンカク リンカクはクウカン」とだけ書かれていますけれど、その意味はわかりません。(青木淳)
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5件のコメント

[C56] 間違っている可能性もあるけれど

コメントありがとう(笑)
ところで、この間のコメントの訂正をさせてください。馬場さんのドローイングをよく見てみると、やはり方向が云々ではなく、僕のものとは似て非なるものですね。まず余白の使い方が違う。僕の余白は一種類ですが、馬場さんのは二種類ある。カタログの余白と場面の余白。カタログの方は二次元での空間レイアウトスタディの為に開かれていて、場面の方はリンカク+キャラの二つの要素がカタチを変えながら関係しあい、フォーマットを解体していくように、開かれている。カタログ/場面が、一つの平面上で同時に構築/解体を考えるシステムとなるようなドローイングを描こうとしているのでしょうか。いや、ぼくはこの「カタログ的網羅性」には思い至らなかった(合ってる?)。吉村君が紹介してくれていた『第三の眼』という本がありますが、「視角」の置き所によって、(建築にするためには)非決定的なままにされているシステムの境界条件を限定していくのでしょうか。いずれにしろ、最終形は予測がつきません。すごく楽しみです。
  • 2009-11-17
  • 吉丸
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[C55] コメントありがとうございます。

花田先生、吉丸くんコメント頂きありがとうございます。

花田先生のおっしゃる「ひたすら世界を読み取るだけの機械」にこのままでは終わってしまいますね。
当初、このドローイングはドローイングでとめておきたいと思っていました。
このドローイングの面白さは私1人の回答では無く、数多くの人の捉えかたの違いを感じるところにあると思っていたからです。ある意味ワークショップ向きだなと。
1人の回答だけで建築にすることも出来ますが、それはつまらないものになってしまうんじゃないかという思いがあり、ドローイングがゴールのように感じていました。
「建築からドローイングへ」というイメージでのみのものでした。
しかし今回の「ドローイングから建築へ」という一つのやり方を考える機会をもらった時、これは手段として使えるんじゃないか・・・と。
新しい視点を提供してもらった感覚です。
なんだか前回のコメントと重複していますね。
混乱しています。すみません(笑)

話を戻しますが、手段としてこのドローイングを使うときに、やはりある程度のルールが必要だと感じています。
それは青木さんがコメントで読み取ったルールもそうですし、それ以上に拘束するものも。
そしてその為に「ひたすら世界を読み取るだけの機械」に一度私がなってみようと思っています。その行為を経てこそ建築にできるのではないかな・・・なんて。
「ドローイングから建築へ」に。
これは答えになっているでしょうか。


吉丸くんのドローイングを見て、個人的な感想ですが小説のシーンをみるようなドローイングだなと思いました。いろいろな場面を想像できる文学的ドローイングだなと。
同じくただのつぶやきです(笑)
  • 2009-11-17
  • 馬場 沙織
  • URL
  • 編集

[C35] 失礼

誤解しているかもしれないけど、最初に見たとき、「ちょっと自分の作品と似ているな」と感じました。でも、たぶんやっていることは逆向きで、自分の作品が或るフォーマットを解体、変形していくのだとすれば、馬場さんのは一点透視図法というフォーマットを「輪郭」という視点から、カタログ化し、それらを組み合わせて全体をつくっていくのかなと感じました。ただのつぶやきです。
  • 2009-11-15
  • 吉丸
  • URL
  • 編集

[C29]

馬場さんの
「しかし私は描いていません。 『描くのをとめた』といった表現のほうが合っているかもしれません。 」
とか、
「みんなが同じ空間を想像するようなドローイングではなく、人によって答えが異なるような空間を想像させるドローイングが描きたいなと。」
といった言い方は、議論の上で正確な物言いになっていて、いいなあと思いました。
学生の成長を喜ぶ教師的発言です。お許しを。

で、次に「じゃあ君の答えは?」という問いに答えないといけないわけで、どうしますかね。
ひたすら世界を読み取るだけの機械になってみる?
青木君はそれじゃあダメって言うかな。
役に立たない感想です。

[C23]

ご講評ありがとうございます。
今回選出して頂き、とても嬉しく思っています。
コメントが遅くなってしまいました。すみません。

青木先生のおっしゃる通り、図面から読み取れるルールでは5つの領域・32通りのパターンを作り出すことができます。
しかし私は描いていません。
『描くのをとめた』といった表現のほうが合っているかもしれません。

今回この絵を描いたところから話すと、普段私は「どんな空間になっているか」を想像させるドローイングが描けないか?と思っていました。
作り上げた空間を人の行為や、物、風景など、どんどん描き込んで、みんなが同じ空間を想像するようなドローイングではなく、人によって答えが異なるような空間を想像させるドローイングが描きたいなと。
空間の中で何が鍵になっているのか。場合によって形も物も大きさも違う「鍵」となるものをドローイングで表現したとき、「鍵」を大きく捉えていくと空間の輪郭がみえ、輪郭の先には空間もみえるのではないか?
そこから生まれたのが今回のドローイングです。

青木先生が読み取ったルールのように、このドローイングにはルール次第でいくつもの風景をつくることができます。
このことが先生の言葉をお借りすると「カタログ的網羅性」につながりました。
そしてこの「カタログ的網羅性」は今回の‘ドローイングから建築へ’に当てはめると建築をつくるひとつの手段になるのではないかと考えています。

まだ自分でも、どの言葉を選ぶと自分の中でやっていること・やっていくことがぴったりくるのか迷っています。
「カタログ的網羅性」から建築がつくれるんじゃないか・・・今はまだ漠然としていますが、最終的にこのドローイングの良さを建築としてかたちにできればと思っています。
  • 2009-11-12
  • 馬場 沙織
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