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[対話篇09 花→青 1] 

今年も「オープンスタジオ 青木淳と建築を考える」の始まりです。
昨年は初めての試みだったけど、学生はもちろん、僕自身がいろいろなことを考える機会となり、嬉しかった。今年もよろしく。

昨年の課題は「模型から建築へ」
今年は「ドローイングから建築へ」。
青木君自身が課題書の中で、「今年の課題は、去年の課題と、<模型>を<ドローイング>に置き換えただけの違いしかない」と書いてはいる。
だとすれば、この「対話篇」もその置き換えをすればよいだけかもしれないけど、今年は少なくとも昨年の経験の上に何かを積み重ねないと笑われそう。単なる置き換えというわけにもいきません。

でもまあ取り合えず、昨年の対話篇での学習に基づき、その結論っぽかった言葉の中の「模型」という単語を「ドローイング」に置き換えるなら、今年の課題も、去年青木君が言ってたように、まずは「ドローイング、建築と測りあえるほどに」という言葉から出発するということだよね。
つまり、「ドローイングは、なにかを説明するもの、ではなくて、それ自体がなにかであるものです。という意味では、ドローイングと建築を区別することはない」という大前提に立つということ。

さてそのうえで「ドローイング」。
この言葉の意味は、定義は、とやっても仕方ないね、きっと。
たとえば、と少ない知識をたどっても、香山(壽夫)先生の『建築家のドローイング』に取り上げられているような、建物が完成した後に描かれたものも含む正統的な建築家による描画から、現代美術の領域でのたとえば「エモーショナル・ドローイング」のような生々しく個人の内面を晒したようなものまでのあいだに、建築の世界でも美術の世界でも、「ドローイング」にはさまざまな変異体があるだろうから。
描く道具や手法だってさまざまだし。鉛筆、絵具、ペン、写真、CG、それらの併用・・・。動画は入れてもいいんだろうか。描く「紙」だっていろいろだ。

だから・・・、ここでどんな話をしたらいいのか、難しい。

なので、いきなり学生諸君代表みたいな質問。

青木君にとって、「建築」へと展開した、あるいは展開するといいなあと思う「ドローイング」というのは、たとえばどんなものですか。つまり去年の「晶洞(ジオード)」に相当するもの。

ちなみに僕はというと、学生時代から思い返せば、建築畑なら、「ロッシ」「ロブ・クリエ」「レオン・クリエ」「アーキグラム」なんかの描いたパース。今から思えばアクソメという描法そのものもここでいう「ドローイング」だったようにも思うなあ。原(広司)さんが「1枚のスケッチ」と言っていた感覚にも憧れたけど、それはここでいう「ドローイング」なんだろうか。とにかくそんなものが「建築へ」とつながるといいなあと眺めていた。

美術なら、去年も書いた若林奮。このひとの描く空気感は大好きで、これはもう昔から変わらない。そこにはモノだけでなくそれを包む気配のようなものが細い線や点で描かれていて、こんな感じの空間が、建築や街や田舎のそちこちにちりばめられているイメージへの憧れが募ります。

ただ去年と同じ問題、つまりそいうったイメージをどう「建築」化するかという大問題がある。ロッシのガララテーゼ集合住宅を見たときには納得できたことが、門司港ホテルでは許せない。原さんの「有孔体」を示すイメージ図と慶松幼稚園はつながったけど、「様相」のイメージ図とヤマトインターナショナルは違うと思った。
そんなあれこれ。
逆にじゃあ若林奮の「ドローイング」を「建築」化したと感じるものを具体的に挙げよと言われると戸惑います。
あるいは、大好きな日土小学校に対応した「ドローイング」はどんなものだろうと考えると、意外に若林奮から少し強さを奪えば近いかなと思ったりもする。

すみません。つまらない話ですね。
きっと、そういうことじゃないよ僕の言いたいことは、と返されそう。
うまくつないで下さい。
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